Hello World from Deep Diver
天川に渡された紙に書いてあったのは、都心から電車で10分程度の郊外にあるマンショ
ンだった。前世紀ならともかく、最近作られたらしいこの建物には、オートロックは勿論、
他にも目立たぬように設置された監視カメラ、住人などに対する指紋、声紋、網膜による
チェック。更には、一人ずつしか入れないように設定された回転式の自動ドア、複数の人
間が入ってきたら、即座に警報が鳴るように扉の全面を覆う赤外線センサ、などといった
物まで完備されていた。
当然、住人であっても、3つのチェックのうち、どれか1つの照合に、合致しなければ即
座に警報が鳴るように、なっているのだろう。防犯設備から察するに、どう考えても高級
なものに、分類できる建物だった。
「ホントにここで良いのか…?」
智哉は、その場に5分ほど立ち尽くして、地上15階はあるそれを見上げていた。その後
更に、麗香から渡された紙と、建物を交互に見ること1分、意を決したように中へ入る。
そして、部屋番号を確認したところで、今度は紙とネームプレートを交互に確認した。
「この部屋で良いんだよな…。」
書かれていた部屋は、最上階すべてを有する一室だが、ネームプレートは白いままで、
ポストには郵便物どころか、新聞すら入っていなかった。
「…空室じゃないのか…?」
呟くと何かを探すように、あたりを見まわし、警備室を見つけると、中にいる警備員に
尋ねる。
「最上階の部屋に、知り合いが引っ越してきたはずなんだけど…。」
「ああ、昨日越してきたばかりで、ネームプレートまだ作ってないみたいですからね。出
かけてもいないようですから、いると思いますよ。」
そう返事する警備員に、礼を言うと、今度はインターホンに向かって歩き出した。
智哉は部屋番号を入力して、呼び出しボタンを押してみたが、呼び出し音が5秒ほど鳴
っただけで1分たっても返事は返ってこない。
「実は警備員が気づかないうちに出かけたとか?」
そう思いながらもう一度ボタンを押す。再び呼び出し音が流れ、今度はすぐにスピーカ
ーから声が聞こえてきた。
「悪いけど、勧誘とセールスはお断りだよ。」
彼は不機嫌な声の主に少し不快感を覚えながら話かけた。
「…天川さんの紹介で来たのだけど、入れてもらえないのか?」
「天川さん?…ああ、そういえばあの人にも頼んでいたか。申し訳ない、今開けるから上
がって来てくれ。」
言葉が終わるのととほぼ同時に、自動ドアが開く。彼は少し早足で中に入ると、正面の
エレベーターに載りこんだ。
エレベーターを降りたところで、彼は三度立ち尽くした。目の前には20mはありそうな
長い廊下、その反対側には、非常階段があるところを見ると、ここだけはどのフロアも同
じなんだろう。ただ1つ、明らかに他と違うところがあった。廊下のほぼ中央に、孤立し
ている扉が1つあるだけ、下で見た表札の数から最上階は一部屋だけ、というのは判って
いたが、それがフロア全てを占拠していようとは、思いもよらなかった。
「こんなトコにすんでいるとは、いったい何処の金持ちだ?金持ちの道楽は、勘弁して欲
しいんだけどな…。」
そう思いながら、扉に向かって歩き始める。1階の表札には名前がなかったが、来客を気に
したのか、こちらには名前が入っていた。
前の住まいから持ちこんだのか、使い古されたプラスチックに、"古暮"と刻み込まれた
プレートが表札のところに乱暴に差し込んであった。
ドアの脇にある呼び鈴を鳴らすと、すぐに返事が返ってきた。
「鍵は開いてるよ。ベランダにいるから、あがってきてくれ。」
「じゃあ、遠慮無くあがらせてもらうぞ。」
話しながら扉を開き、部屋の中へ1歩足を踏み入れると、そこは別世界と呼んでも過言
ではない光景だった。6畳はある玄関の、正面と左右にそれぞれ幅2m前後の廊下が伸びて
おり、それぞれに扉が2枚ずつある。正面の廊下には、左右に2枚ずつ、計4枚の扉があ
った。
廊下を突き当りまで進むと、左右に分岐しており、同様に扉が2枚ずつ。突き当たりに
設置された扉からベランダ、といっても小さ目のバルコニーほどの広さはあるところ、へ
行けるようになっていた。
ベランダでは、一人の男性がタバコ片手に、PAで話をしていた。
彼は、目に届かない位置で切りそろえた黒い髪に、日本人特有の茶が混じった瞳の入っ
た目を開きすぎも、閉じすぎもせず、話しながらテーブルに置かれた資料を眺めていた。
「はい…ええ、一応人数はそろいました。仕事のほうは…まだメンバーと話してないんで
わかりませんが、遅くても1周間あれば、始められると思います。…はい、じゃあよろし
くお願いします。」
彼は電話を終えると、智哉に向き直って笑いかけた。
「さっきは悪かったな。越してきて、まだ2日目だっていうのに、勧誘とセールスは、二
桁来ていてな、それも大事な話をしているときに限って来やがる。連中、入居状況を調べ
るのだけは得意らしい。」
智哉は、親しげに話しかけてくる彼の表情が、後半は苦笑に変わっていることもあって、
好感を覚えた。同時に、彼の顔を見て、怪訝な表情になる。
「どうした?」
「いや、どこかで見たような顔だな、と思ってな。確か、何かの雑誌だったような…。」
「何処にでもある顔だろ。雑誌になんて、載ったことも無いぞ。」
笑いながら応え、思い出したように、話を続ける。
「ああ、自己紹介が先だったな、古暮健だ。一応、今回のメンバーを集めた責任者って事
になっている、よろしく。」
彼は差し出された右手を軽く握って答えた。
「大桐智哉だ。さっきも話したが、天川さんの紹介で来た。こちらこそよろしく。」
「ああ、あんたのプロフィールは、さっき天川さんから届いたから大丈夫だ。さっき他の
メンバーも呼んだから、もうすぐ来ると思う。俺とその2人の、プロフィールに目を通し
ておいてくれ。」
「チームは4人体制なんか?」
「勝手な様だが、以前のチームはずっと4人だったからな。それが、一番行動しやすいん
だが…何か不満でもあるか?」
3冊のファイルを渡しながら答え、質問を返す彼に、彼は微笑みながら答えた。
「いや、俺も4人だったから、大丈夫だ。ところで、他の2人っていうのは、何時来るん
だ?」
「もうすぐ来るだろう。後1つ、他の二人にはもう伝えてあるけど、俺はメンバーを名前
で呼ぶことにしている。そっちも、俺や他のメンバーの呼び方は、自由にしてくれ。」
「OK、それじゃあ改めて、これからよろしく頼むよ、健。」
「こちらこそ、智哉。」
微笑みながら、互いに握手を交わした。
智哉から遅れること10分ほどで、他の二人が同時に到着した。部屋に呼び鈴が響くと、
あの後再び電話をかけていた健が、のんびりとインターホンで応対してから、智哉に声を
かけた。
「待たせたな、他の二人がついたよ。今からあがってくる。準備してくるから、ここで待
っていてくれ。」
言い置いてベランダからいなくなった。
2分ほどして彼が戻ってきたとき、後ろに二人の女性を従えていた。一人は背中の真中ま
であるロングヘアで、知的な顔をした才女といった印象をもった。もう一人は肩までのセ
ミロングで、やや幼い顔をしている。美人、というより可愛い、といった表現の方がピッ
タリしそうだ。
「資料渡してあるから、詳しい紹介はいらないよな?」
確認の意味で、3人に問いかける彼に頷き、智哉から順に、名前だけの簡単な、自己紹介を
始める。
「大桐智哉だ、よろしく。健と同じでメンバーは、名前で呼ばせてもらう。」
「かまわないわ、私達もそうするつもりだから。」
セミロングの女性が、そう答えて自己紹介を始める。
「荒谷渚よ。今日からよろしく。」
「上林彩。渚とは、中学のときからの友人なの。」
ロングヘアの女性は渚に続いて、そう言うと会釈した。
最後に、健が口を開いた。
「まあ、これで全員顔を会わせたってことで、一応…古暮健だ、今回おたくらを集めた、
責任者ってことになっている。俺も、他のメンバーについても、細かいことは資料を参照
してくれ。それ以外で、特に質問が無ければ、仕事の話しに移りたいんだが…。」
順番に3人と顔を合わせ、誰も質問しないのを確認してから、再び話し始める。
「と、言っても、結成したばかりじゃあ、何も仕事は無いが。とりあえず、雑務からだな。
まずはチーム名だな。一応"Deep Diver"って名前を考えているのだけど、どうかな?」
「"Deep Diver"?」
その名を聞いた渚が、そっくりそのまま、上がり調子で返す。それに、健がにやりとして
答えた。
「そう、ネットの奥深くまで潜って、データを入手してくるから"Deep Diver"。それが、
どんなに深く(Deep)ても、底まで潜って(Dive)データを入手してくる。だからDeep Diver
ってわけ。」
「なるほどね…Deep Diverか、いいんじゃない?」
「奥深くまで潜って来る、って言う意味も、私達にピッタリね。」
「私も、それでいいと思うわ。」
「じゃあ、チーム名は決定だな。」
3人が、口々に賛成の声をあげるのを聞いて、健が嬉しそうに笑いう。その後に、続けて話
す。
「それじゃあ、後はお互いの顔見世だけのつもりで、集まってもらったから、他の準備が
終わっていない。本格的に活動するのは、来週からにしたいのだが、なにかあるか?」
再び、3人を見廻し、更に言葉を続ける。
「何も無ければ、今日は全員が集まったってことで、全員で食事にでも行こうか。勿論、
俺が奢らせてもらう。」
それを聞いた3人が、一斉に口を開く。
「それって、食べ放題飲み放題ってこと?」
「お店のリクエスト、してもいい?」
「高級な料理、頼んでも良いのか?」
健は、それを一旦手で制して、全員の質問に答える。
「当然、好きに飲み食いしてもらって構わないし、高級料理でもいい。店のリクエストを
してもいいし、そこが気に食わなきゃ、2次会でも3次会でもありだ!」
それを聞いた3人が、それぞれ嬉しそうな、悲鳴を上げる。それを見ながら、健が満足
そうに微笑むと、3人を促して部屋を後にした。
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