Hello World from Deep Diver
翌深夜、井筒金属本社の前に、智也と渚の姿があった。この時間になると、流石に歩く
人は見当たらないが、大通りである為、たまに車が通り過ぎていく。勿論、電車などが動
いている時間ではなく、二人もここまでは車で着たが、正面に駐車するわけにもいかず、
近くの路地に止めてある。
耳につけた、送受信機能を持つ、ピアス型の無線を使って、智哉が尋ねる。
「で、とりあえず正面に回ったけど、どうするんだ?」
「正面から、堂々と入っていいぞ。入ったら全力で、目の前のエレベーターに乗ってくれ。
こちらから、看視カメラをごまかせるのは、5秒程度だから急いでな。」
「5秒か…ちょっと厳しいわね。エレベーターの扉が、開いている時に、時間が来るんじゃ
ない?」
「それは大丈夫よ。こちらから操作して、エレベーターの扉を、開けておくから、心配し
ないで。」
「了解、じゃあ始めるか…。」
「カウント行くぞ、3…2…1…Open Fire!」
健の合図と同時に、正面の扉が開き、智哉と渚の二人が中へ入る。殆ど同時に、3基ある
エレベーターのうち、中央の1基の扉が開いた。二人は全力で、そこに駆け込み、即座に
扉を閉め、19階のボタンを押した。
智哉は、エレベーターの中で小さく息を吐いてから、安堵の声を漏らす。
「ここまでは、大丈夫だったみたいだな。第一関門突破ってところか。」
「そうね、でも、この先が問題よ。」
「その前に、このエレベーターは、使っても大丈夫だったのか?」
「大丈夫だ。エレベーターは、他のヤツの映像を送るように、細工してあるからな。問題
は、それが出来ないフロアなんだが、1階以外はカメラの死角があるから、大丈夫なはずだ。」
「問題は1階だけ、だったってわけか…。」
「そういうことだ。」
見えないはずの健の表情が、楽しそうに歪んでいるのが、声の調子でわかった。
「おしゃべりは終わりよ。19階についたわ。」
彩が三人を引き締めるように、小さいが鋭い声で言う。エレベーターのベルが、19階に到
着したことを告げた。
本社の19階といっても、引越し作業中は散らかっている。もっとも、本社だからこそ、
散らかっているのかもしれない。教えられた、カメラの死角を、縫うように進みながら、
智哉は思った。
20秒ほど歩いたところで、先を行く渚が止る。その場にあるドアを指差して、小声で「こ
の部屋よ」と告げ、智哉が頷いたのを確認して、扉を開く。
室内は廊下―――といっても、パーティションで区切られただけだが―――以上に、散
らかっていた。廊下は、ダンボールが無造作に詰まれていただけだが、室内は印刷された
資料や、ディスクなどがあちらこちらに点在し、無数の山を作っていた。二人は、その間
を慎重に進み、奥にある端末へ到着した。
それが、目的の端末であることを確認した智也が、無線に小声で話し掛ける。
「着いたぞ、これからどうする?」
「それじゃあまずその端末…。」
「起動するのか?」
「いや、それは無視して、下のデスクを見てくれ。」
予想外の言葉に、一瞬体の力が抜ける。渚も同じだったらしく、少々気の抜けた表情で、
話し掛けていた。
「何それ、つまり端末は全く関係なかった、っていうこと?」
「そうね、あえて言うなら、ただの目印ね。その端末だけ、結構な年代物でしょ?」
彩の返事を聞いて、端末を注意して見てみる。言われてみれば、周りの端末は、せいぜ
い1年半前の製品なんに、これだけは前世紀とは言わないものの、8年は遡れるであろう代
物だった。しかも、全く使われていないのか、本体の上に、薄らと白いちりが積もってい
る。
何処から見ても、明らかに何かあるとしか思えないほど、怪しい。置かれている、PC用
の机だけが、新しいものになっているのが、余計にそれを目立たせていた。
「で、この中に何が入ってるんだ?」
「その前に行っとくけどな。昨日話した、どうしても解除できない警報、って言うのがそ
れだ。何せ、旧式の有線タイプな上に、ネットワークも繋がってない代物だからな。」
「有線だったら、そこをカットすれば、いいだけじゃないの?」
渚が口を挟む。それに答えたのは彩だった。
「私もそう思ったのだけど、それが出来ないのよ。」
「どうして、コードを見つけて切るだけなら、小学生でも出来るじゃない?」
「それが出来ないのよ。コードに、常に微弱電流を流していて、それが途切れると、警報
が鳴るように出来ているの。これだから、旧式って嫌いなのよね。」
無線から溜息混じりに彩が毒づくのを聞きながら、健も同じような顔をしているのだろ
う、と思う。横を見ると、その二人とは対照的に、智哉が楽しそうな表情を見せている。
おそらく、こういうことが心底好きなんだろう。だからデスクワークはやらないし、そう
いう知識にも疎い。もっとも、それでどうした、というほどの事は無い。なにしろ、自分
もそうなんだ。
不意に、耳に流れ込んできた甲高い音が、彼女の思考を止める。一瞬の思考停止を経て、
それが警報であると知ると同時、智哉が自分の腕を引っ張りながら叫ぶ。
「ほら、行くぞ!ボケッとしているなよ!」
「そんな事、言われなくても、わかっているわよ!だから、そんなに強く掴まないで!」
本人は、加減しているつもり、なんだろうが、それでも、掴まれた右腕に、軽い痛みを
感じながら、彼女が叫び返す。同時に走り出し、即座に彼を追い抜いた。瞬発力は、自分
の方が上らしい。お返し、とばかりに叫び返してやる。
「早くしないと、レベーターに乗れないわよ。」
素早く死角を走り抜けながら、エレベーターへの道を進んでいく。予定では警報が鳴っ
て、5秒後にエレベーターが開くはずだった。エレベーターの扉が開いてから、再び閉じる
まで約5秒。合計で、およそ10秒の間に、エレベーターに乗り込めばいいのだし、廊下は
カメラの死角を抜けても、軽く走って7秒かかるかかからないか、というほどの距離だか
ら、3秒程度の余裕がある。
彼女は、エレベーターが見えたところで、後ろを振り返る。智哉は1mほど後方を付かず、
離れず、ペースを調節しながら、ついてきていた。
エレベーターに滑り込み、念のため、1階と2階のボタンを押す。同時に、智也が飛び込
むのを確認してから、扉を閉めた。
降りはじめた、エレベーターの作動音を、耳にしながら、二人が、ほぼ同時に、安堵の
息を漏らした。
「何とか、ここまでは、うまくいったな。そっちはどうだ?」
「特に問題は無いな。警備員も予定通り、エレベーターで、立ち往生している。他のとこ
ろにも、おかしなところは見られない。それよりも…。」
健の言葉が途切れる。応援の警備員の到着を、確認しているのだろう。すぐに次の言葉
が聞こえてきた。
「応援の到着予定まで、あと少しだ。シュミレーション通りなら、残り4〜5秒で到着する
はずなんだが…。」
「ピッタリね。今、正面に車が到着したわ。」
「…だな。予定変更だ。2階から外に出てくれ。」
「了解。2階で降りるから、その後の指示を頂戴。」
健、彩、渚の三人が、口々に話すのを耳にしながら、智也、は密かに舌を巻いた。
彼も、これまでいくつかのチームに、籍を置いてきたが、ここまで綿密に計画を立て、
しかも、それを手際よくこなせるチームは、これまで無かった。それだけに、彼が勝手な
真似をして、警備の注意を引きつけるような事をしていた。しかし殆ど理解されず―――
つい最近までいた、チームのリーダーは、解っていたようだが―――仲間から煙たがられ、
喧嘩別れのような形で、抜ける場合が多かったのだが、今回は、その心配は無さそうだ。
2階へ到着すると、思考を止めないまま、フロアへ降り指示を仰ぐ。返事は、すぐに返っ
てきた。
「O.K.それじゃあ、すぐ左手に見える部屋に入ってくれ。鍵は、かかってないはずだから、
簡単に入れるはずだ。」
言葉どおりに、扉には鍵がかかっておらず、ノブを回すと簡単に開いた。中に入り、次
の指示を待つ。
「入ったら、右側を見てくれ。何かあるか?」
「扉がある。」
その答えを聞いて、無線のむこうで健と彩が、満足そうに声をあげた。
「図面どおりだな。」
「そうね。」
「一体なんなの?」
意味の解らない言葉に、渚が疑問の声をあげる。それに答えるように、彩が説明を始め
た。
「その建物って、元は違う会社が入っていたの。だけど、その会社が他に移って、管理し
ている会社が改装したの。老朽化していたみたいだしね。その後、井筒金属が入ったとい
うわけ。」
「それが、どうしたの?」
「その扉の先には、もともと非常階段があったの。で、改装のときに、非常階段ははずし
たんだけど、そこに通じるドアのうち、2階だけはずしてなかったみたいね。」
「井筒金属も、特に気にしてなかったみたいだな。場所も部屋の端だし、邪魔になること
も無いだろうからな。」
「なるほど、それで、ドアの先には何も無い。だけど、ドアだけあるって言う状況が、出
来たわけか。」
「そういうこと。しかも、都合のいいことに、ドアの先には、隣のビルの非常階段がある。
距離は1mも無いから、簡単に移れるだろ?」
扉開けると、言葉どおり、そう離れていないところに、隣のビルの非常階段が、備え付
けてあった。建物が、それほど新しくないのか、この時代でも、非常階段の形が変わって
いないのかは、わからないが、簡単に移れるものだった。
簡単に、ビルから脱出した二人が、乗り込もうとドアに手をかけながら、溜息混じりに
言葉を出す。
「最初の仕事って言っても、もう少し張り合いが欲しかったな。」
「心配しなくても、そろそろやる気が出てくるよ。」
「…どういうことだ?」
言葉とほぼ同時、ひょっとしたら僅かに早かったかもしれないタイミングで、灯りがこち
らに来るのを確認する。
灯り―――懐中電灯の持ち主が、井筒金属に雇われている警備員だと解るのに、そう時
間はかからなかった。
「こんな時間にこんな所で何してるんです?」
「……。」
当然の問いかけにどう返事してごまかそうかと考える。こういうことに直面したのは始め
てだった。
「どうしました?」
「あ、その…えーと…。」
「すみません、彼口下手なんです。」
明らかに不信の目で、こちらを見る警備員に、うまいいいわけが、浮かんで来ないでいる
と、不意に渚が割り込んで助け舟を出した。
「友達の家からの帰りなんですけど、道に迷ってしまって。」
「道に迷ったぁ?いまどき、ナビもつけてないの?」
「ええ、このとおり、二台とも古い車なんで。」
そういって彼女が示した二台は、確かに古いものだった。
一昔前までは見かけることも多かったであろうその車も、今では稀にしか見ない。それ
どころか、今となっては知っているものも、そう多くないだろう。智哉のR32GTRと渚の
180SX、特に180SXなどは今となっては、ある程度詳しいものでも、目にする機会は少な
いだろう。つまりそういう車だった。もっとも、当然ナビはついているが、内装を見られ
でもしない限り気付かれる事は無いだろう。
「まあそういうことなら…。で、道は解ったのかい?」
「ええ、そこの通りの標識に、書いてありました。」
「そうですか、良かったですね。」
そう言い残して警備員が去っていった。こうなったら長居や深入りはせず、さっさと退散
するべきで、二人もそれぞれ車に乗り込む。
二台が動き始めた丁度そのとき、先ほどの警備員が引き返してきた。彼は渚の車のとこ、
ろまで来ると疑わしい表情と口調で質問してくる。
「今思い出したんですけど、あそこの通りの標識って500m程先までいかないと無いんで
すよね。貴女本当にそこまで行ったんですか?」
「え…ええ、勿論見てきました。」
「そうですか…。」
冷汗混じりの表情で答える渚に、彼は微笑みかける。彼女もそれにつられる形で微笑むと、
彼はそれを待っていたかのように表情を変え、叫んだ。
「そんな訳無いだろう。標識は、すぐそこの交差点にある。一体、何故こんなところにい
るんだ!?」
彼が叫び終わるのと同時に、180SXの前に止っていたGTRが低く叫んで走り出した。自
体を察知した智也が、急発進させたのだ。
「あ、待てっ!」
GTRに向って鋭く叫ぶが、当然止らずに大通りへ出て行く。渚も彼がGTRに気を取られ
た隙に180SXを発進させた。
「待てっ!」
再び鋭く叫ぶと、慌てて無線で連絡をいれる。
「今大通りに出て行った二台のドライバーが、こちらの制止を振り切って急発進しました。
すぐに追ってください!」
それだけ言い残すと、受信機から返ってくる反応は無視して、彼自身も通りに走り出る。
二台は既にほとんど見えなくなっていたが、それでも特徴的なテールを、記憶に焼き付け
てから、正面で待機中の仲間の元へ走っていった。
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