Hello World from Deep Diver

 運転席で視界を流れる景色を目にしながら、智也は会心の笑みと言葉を漏らした。

「よっしゃあ!タイミングピッタリだ!」

「全くね、いいタイミングで飛び出してくれて、助かったわ。」

渚も安心しきった声で返してきたのだが、次に聞こえてきた健の声はかなり不機嫌だった。

「何がタイミングピッタリだ!?あのまま行っていれば、丁度いいタイミングでFB捕まえ

られたのに、それを無駄にしやがって。おかげでもう一回計算しなおさないと、ダメにな

っただろうが。」

「そんなこと言われてもな、こっちだって危なく、つかまるところだったんだ!ああする

以外に無いだろ。」

「まあまあ、二人とも落ち着いて…。」

「そうね、それにそのまま行くと二つ先の信号で赤に捕まるわよ。」

「え?」

二人を嗜める渚に続いて、無線越しに彩が放った言葉にドライバー二人は疑問の声をあげ

る。前方を見ると、その意味はすぐわかった。確かに二つ先の信号が、青から黄色に変わ

っている。すぐ赤に変わるだろうし、このままの速度では確実に停車せざるをえなくなる。

「ど、どうするんだよ。あそこで止ったら捕まっちまうぞ!」

「そうよ、昨日あれだけ自信満々に話してたFBはどうしたのよ!?」

「だから、そのタイミングを無視して、お前らが飛び出したんだろうが。それも、こっち

への連絡無しに勝手に!今タイミングを計算しなおしてたんだ。ここからは絶対にこっち

の指示に従ってもらうからな。」

「解ったわ。」

「O.K.期待しているぜ。」

その返事に漸く機嫌を直したのか、健が調子を上げて指示を出す。

「まずは30Km/hまでおとして、それを保ったまま次の信号を通過してくれ。」

健の言葉に、二人が返事を返し指定された速度まで落してく。

次の指示で、渚が180SXをGTRの真後ろ、渚が保てる限界の距離まで二台の差を縮め

る。

「これが限界。次はどうすればいい?」

「了解。後は合図したら全開で100Km/hまで持っていけば、それでその通りは素通りだ。

ついでに警備も振り切れるから、のんびり戻ってきてくれればいい。後35秒…。」

計算も終り、気が抜けたのか、健が気楽に言ってくる。しかし、当の本人達にとっては

それほど気楽な問題では無かった。何しろ先ほど30Km/hまで落としてから―――180SX

をGTRの真後ろにつけたときを除けば―――加速も減速もしていないのである。

 二人は口々に健に不安を訴えるが、彼は取り合わずに大丈夫だとしか言わない。そんな

問答を繰り返しているうち、ふと後ろを向いた渚があることに気がつき声をあげる。

「ちょっと、もうすぐそこまで、警備の車がきているわよ。本当に大丈夫なんでしょう

ね!?」

その問いかけにも、彼は落ち着いて答える。

「大丈夫だって言っているだろ。あと23秒だ。何なら0.1秒まで正確にカウントしてやろ

うか?後21.3秒…。」

おそらくは端末がしているであろうカウントダウンの数値を、彼が早口で読み上げる。

「そんなんは、どうでもいいから、早くしてくれ。そのタイミングが来る前に、こっちが

捕まっちまう!」

「そんなにヤバイか?じゃあ35Km/hまであげていいぜ。後16.8秒…。」

 焦る智哉の言葉にも動じず、たった5Km/hの加速だけを許しのんびりとカウントを続け

る。

渚が後方を確認すると、追っ手の先頭、ドライバーとナビゲーターの口元が、緩んでい

るのが確認できる。おそらく馬鹿にしているのだろう。

「ちょっと、本当に大丈夫なん!?」

「大丈夫だって。それより、そろそろ準備しとけよ。後12.2秒…。」

「いい加減に、そのカウントを止め…。」

そこまで言って渚が言葉を止めた。

 追っ手の速度が遅くなっているのだ。おそらく信号で止る為に、減速をはじめたのだろ

う。それに気付いた彼女は声をあげた。

「減速した!?止るつもりなのね。」

「そうか、連中はFBを知らない。だから、赤信号での停止は守る必要がある!」

 いくら不審者を追跡しているとはいえ、緊急車両で無い限り、信号は守らなければなら

ない。それに気付いて叫ぶ二人の後に、健がのんびりと続ける。

「だから、大丈夫だって言っただろ?それより、こっちは減速するなよ。後9.8秒…。」

 それが解れば心配は期待に変わる。まだ追いつかれる心配はあるが、それは先ほどに比

べれば激減していた。

 信号直前で両者の速度が逆転し、徐々に開いていく。追っ手の表情が余裕のそれから徐々

に焦りに変わっていくのを、彼女は微笑みながら見ていた。

FBのときが徐々に近づき、健が連続してカウントダウンを始める。

「もうすぐ行くぞ。後5秒…3、2、1…。」

カウントにあわせて、ピッタリのタイミングで信号を抜けられるよう速度を調節する。

そして…。

「良し、行け!FBスタートだ!」

 健の合図とともに、二人がアクセルを底まで踏み込む。同時に二台が発進時より一際大

きく咆哮して、これまで抑えられていたストレスを発散するかのように排気ガスを吐き出

し、一気に全力疾走の状態になって青に変わった信号を駆け抜けていく。後ろを見ると、

追っ手が慌てて加速をはじめたのが解ったが、既に後の祭りだった。

 警備員達が異変に気付いたのは、信号が青に変わってからだった。慌ててアクセルを踏

み込み加速を始めるが、全力での加速とはいえ、ほぼ停止した状態からでは、先を行く二

台に追いすがることすら敵わない。何より二台とは速さに決定的な差があった。こちらよ

りも、相手の方が段違いに速かった。

それと同時にある異変に気付く。先ほどの信号の変化では見られなかった変化に最初に

気付いたのは、先頭を走っていた車のドライバーだった。

「なあ…連中、さっきから一回も信号に引っかかってないぞ。」

「…FBか!?」

「FBって、あれは確か廃止されたはずだろ?」

「廃止されたんじゃなくて、方針が変更になったんだ。非合法な公道レースの開催を防止

する為にな。実際は、タイミングさえ合えば、一定の速度を保つ事で、全ての信号を青で

通過することが出来る。」

助手席の警備員が、悔しそうに歯軋りをしながらドライバーに説明し、更に気付く。

「連中がFBを利用しているとすると、こっちもスピードを上げていくしかない。」

「そうだな、そうしないといずれはこっちが赤になるからな。よし、全車FBに合わせるた

めに、スピードを上げろ。」

ドライバーが後続に指示を送るが僅かに遅く、既に二つ先の信号は赤へと変わっている。

目の前の信号も、黄色に変わっていた。

「クソッ!」

どちらからとも無く、悔しそうに唸って遥か先に消えて行く、二つのテールランプを睨

む。二台は彼等の視界から消える直前まで、約1Kmの直線道路を、ただの一度もブレーキ

ランプを、点灯させずに進んでいった。

「こうなると、追跡は不可能だな。」

「どうする?俺たちの責任重大だぞ。」

「良くて減俸、最悪クビか…再就職先を探す準備をしておいた方が、いいかもしれないな。」

「そうだな…。全車帰還。戻って上の指示を仰ぐ。」

ドライバーが再び指示を出すと、車列が一世に方向転換して来た道を戻っていく。各車

の乗員の心境を代弁するかのように、折り重なったうめき声をあげて引き返していった。

帰りついた彼等を待っていたのは、既に連絡を受けて到着していた井筒金属社長だった。

その横には彼等が勤務する月堂警備の地区担当部長が、怒気を露にして控えている。

「…ご苦労だった…。」

彼は懸命にも、侵入者を取り逃してしまった不幸な自らの部下に、労いの言葉をかけるの

を忘れなかった。

 大方の経緯は、現場で待機していた部下から既に聞いてある。そこから推察すると、ど

うやら相手はかなり用意周到だったようだ。

監視カメラの眼を誤魔化し、あるいは死角を通り、こちらの本体の到着時間も、ひょっ

としたら計算していたかもしれない。おそらくこの顧客のサーバーに、何度かハッキング

を仕掛けた上でのことだろう。それが確認できれば彼らを救うことは出来るかもしれなか

った。もっとも、どうするかは上の決めることなんだが…。

部下達は何も言わずに項垂れている。一分待って漸く一人―――先頭車両の運転手――

―が声を出した。

「…申し訳…ありませんでした…。」

其の言葉に、彼は多少の満足感を覚えていた。おそらくは結果から、自分達がどういう運

命をたどることになるのか解っているのだろう。それゆえの潔さだったのだろうが、彼は

それを認めなかった。

「弁解をしないのは懸命だが、私はそれを望んでいない。何故こういう結果になったのか

報告してみろ。」

出来るだけ優しくと心がけて出した言葉だが、やはり怒気は隠せるものではなかったらし

い。返答をした男が一瞬小さく震えるのを目にしてそのことを悟り、一度口を閉ざした。

 彼が先程よりも僅かに早く返答を返せたのは、上司が言い訳を認めてくれたからだと自

覚した。そのことに感謝と恨めしさをもって、言い訳を口に出した。

「我々は不審者を追い詰めましたが、後一歩のところでFBが発動。目標はそれに乗じて気

付くのが遅れた我々を、振り切り逃走しました。我々もすぐ後を追いましたが、僅かに遅

く。信号が赤へ変わったために停車を余儀なくされ、目標を見失いました。」

「FB?それは既に廃止されたのでは?」

「いえ、方法が変わっただけで、タイミングさえ合えば全ての信号を、青点灯の状態で通

過できるのです。もっとも、信号のタイミングと、それにあわせるための速度を計算する

手間を、惜しまずやるような連中は、滅多に居ませんが…。」

自分の代わりに上司が質問に答え、更には弁護するようなことまで話したことに、彼は

心の中で感謝する。同時に、僅かに視線を動かして相手の表情を確認する。

彼は納得と不服の両方が交じり合ったような、奇妙な表情をしていた。FBの事を知らな

かったのは彼のミスであり、それを知っていて忘れていた、もしくはそれはありえない、

と勝手に思い込んでいたのは、こちらのミスなんだ。どちらを責めるべきか、という葛藤

の結果がそのまま表情に表れていた。

僅かに思案してから彼は結論を出した。それをそのまま口に出す。

「…解りました、今回の件は不問にします。ただし、この一件を知る皆さんに、戒厳令を

敷かせてもらいます。今日は何も無かったことにする。皆さんも普段通りの勤務をしてい

た。よろしいですか?」

「それは…こちらとしては、大変嬉しいことなんですが、そちらは大丈夫なんですか?」

 質問はもっともだったが、答えるまでも無いことはその質問者自信もよく知っていた。

 井筒金属は、前世紀末に旗揚げされたばかりの、まだ若い企業なんだ。現在の社長の父

親が、それまで勤めていた鉄鋼業者を退職したのを機に、それまでの貯蓄と、退職金を叩

いて設立されたのである。それ故に、この件は会社としての、信用問題に発展してくる恐

れがある。

 株主の中には、初代社長が勤めていた、業界最大手の日本鉄鋼もいる。下手をすれば、

吸収合併されかねない状況に陥る可能性を考慮すると、不審者がよっぽどのことをしてい

ない限り、何も無かったことにするのが裁量の選択肢なんだ。

 それだけでは無い、彼らは国連から禁輸国に指定されている国との、取引も行っていた。

無論、リスクがある分効果ではあるが、その分利益率は他の何処よりも高い。もしそのと

きの記録などが残っていて、それが盗まれたとすれば最悪の事態を招くこととなる。

 当然、それを回避する最大限の努力は行っているが、万が一ということもある。それを

考えると、選択肢は一つしかなかった。

 以前、一度それが噂となって、業界に出回ったことがあった。そのときに、内部調査で

"何も無い"と、発表している。それだけに、次の不祥事は息の根を止められる。彼はそ

れを恐れていた。

「勿論、その不審者が何を行ったかにもよりますが、今のところは伏せて置くようにお願

いします。あなた方には後日改めて、お願いをすることになると思いますが、よろしくお

願いします。」

「そういうことでしたら、我々には何も言う権利はありませんので。」

 彼はそう言い残して常備待機員以外に撤収を命じた。

 翌日、やはりこの件には戒厳令を敷くようにと井筒金属社長から月堂警備へ正式に連絡

があった。盗まれたのは、過去の取引を記録した、ディスク一枚だけだったらしい。

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