Hello World from Deep Diver

 東京ジオ…正式名称"東京ジオフロントプロジェクト"。発展と共に、増加の一途をたど

る都心部の人口による住宅確保の問題と、それに伴う環境問題を同時に解決する方策とし

て2008年に提案された。その後、計画は過去に例を見ない速さで政府及び関係各所の承認

を受け、2009年に着工。都市としての機能を地下に移し、地上の大部分を緑地化させる計

画。公式発表での、現在の進行度は、45%となっている。

 その計画の要となる、直径100mの巨大な穴。内部工事をする為に掘られ、深度も現在は

80m強にまでなっているらしい。通称"モグラ穴(モール・ホール)"、都会の中心に開け

られた、巨大なモグラの住処。

 その巨大な穴蔵全てが視界に収まる場所など、高層ビルが立ち並ぶ東京では少なくない。

健のマンションの屋上も、そのひとつだった。正面を背に右側(正面は北なんで、右側は

東)にあるのだが、屋上に上がらない限りは、全てを見ることが出来ない。

 彼は所有者と管理会社に無理を言って、そこへの進入を許してもらっていた。そして今

もそこにいる。

「屋外での喫煙は、条例違反。」

後ろから声をかけられ、煙草をくわえたまま振り返ると、彩が開放的な笑みを浮かべて立

っていた。

「…ただし、私有地と指定された喫煙可能区域はこの限りではない。ちなみに、ここは私

有地の真っ只中だ。」

「同条例第二項。アパート、マンション等第三者の管理する私有地においては、所有者、

及び管理人の許可を必要とする。」

「その両方に許可をもらっている。ついでに言えば、まだ火はついてない。」

表情を変えずにそこまで言って、懐から取り出したジッポライターで火をつける。すぐに

大きく吸い込んで、吐き出す。

 彼女はその動作を黙って見ていたが、そこまで終わると彼に近づいて素早くそれを奪い

取った。

「目の前で煙草を座れるのは嫌なの。だからやめてもらえる?」

「煙草を?」

「そう。」

「そりゃ無理だな。ただし、彩の前では吸わないように努力するよ。」

煙草を奪い返し、宣言どおり、懐から取り出した、携帯灰皿に放り込む。それから尋ね

た。

「で、何の用だ?まさか煙草を止めさせるため、でもないだろ?」

話しながら彼女の様子を窺う。

 結成してからこの瞬間まで、メンバーの一人と、限定して向き合うことは無かった。大

抵の場合は他のメンバーがいたが、ディスプレイを見ながら声を頼りに、その存在を確認

する程度だった。彼自身が、それ以上の興味を持たなかったから、というのもある。今に

なってというのも、いささか妙な話ではあるが、わざわざ二人きりになる必要があるほど

の話をしに着たであろう彼女に、多少興味が湧いてきたのは事実である。

改めてみると、彼女が俗にいう美人の部類に入ることに気付く。おそらく、平均より少々

高目であろう身長。整った顔立ちに、紅い瞳と揃えたような髪を、腰まで伸ばしている。

この時代、表裏を問わずこの手の職で、生計を成す女性は少なくないが、その中ならばお

そらくトップクラス。贔屓目に見れば、舞台女優位は通りそうな印象を受ける。

(…流石にそこまではいき過ぎか。)

一人考えながら彼女の返事を一秒ほど待つ。更に一秒ほどの間を置いて、手摺に両腕を

乗せて、体重をかけた彼女が話をはじめた。

「…井筒金属は、今回の件を無かったこととして、処理するらしいわ。」

「そうらしいな。さっき俺のところにも天川さんから連絡があった。」

「そう…。」

彩が曖昧な返事を返すと、また一瞬の沈黙が訪れる。今度はすぐに健が沈黙を破って口

を開いた。

「井筒金属はさ…。」

「え?」

「あの会社は、禁輸国との取引もやっているらしい、って噂があってな。前に一度、内部

調査が行われているんだ。そのときの報告書では"当社の過去の記録において、禁輸国と

の取引を示すものは、一切発見されなかった"というのが、公式の発表だった。」

「でも、それならその話はそこで終わりでしょ?」

その問いかけに、珍しく真顔で頷いてから続ける。

「確かに、それで終わったはずだった。けど、最近になって一部マスコミの間に、ある噂

が出始めたんだ。」

そこまで話して、一息置く。煙草を出そうとして、ついさっき彩に言われたばかりの言葉

を思い出し、変わりにサングラスを取り出した。それを手で弄びながら続ける。

「"井筒金属の内部調査報告書は、偽造されていたのではないか。実際には、内部調査は行

われていない。"ってな。」

「つまり、井筒金属は禁輸国との取引をしている、あるいはしていた可能性が、否定でき

なくなったっていう事?その真実を知るために、マスコミ関係者…あるいは取締役クラス

の株主が、この仕事を依頼した…。」

「もう一つ別なケースの可能性もあるけどな。確率的にはマスコミ、株主ってところか。」

「これ以外に、どんな?」

その質問には答えず、弄んでいたサングラスをかけると、微笑んでから階段の扉に向って

歩き出しながら言った。

「この話は、周りの状況から推測したに過ぎない。噂の出所も定かじゃないし、話してい

るのも、金属業界を担当している連中だけだ。ただ井筒金属が無かったこと、にしたなら

信憑性は高い。この一件で何かあるとすれば、今後一週間が勝負だろうな。もし事実だっ

たら、井筒金属は今ごろ必至に、証拠の隠匿を画策しているだろうよ。どうなるにしろ、

この一週間は関連記事から目を離すな。」

 それだけ言い残して屋上を後にしようとする。と、ドアに手をかけたところで思い出し

たように振り返り、呟いた。

「言うの忘れていたけど、天川さんが初仕事の成功祝賀会を開いてくれる、って話してい

たな。」

「先に行っていいわよ。私はもう少し居るから。」

モグラ穴を見つめながら、振り向きもせずに応えた彼女に、健が困ったような口調で、

次の言葉を口にする。

「そうじゃなくて、ここの鍵を閉めないとダメなんだ。後から参加するのはかまわないけ

ど、ここからは出てもらわないと困る。」

「平気よ、開錠程度ならできるから。」

「このマンションって、屋上でも予め設定された鍵以外での開錠を行うと、即座に警報が

鳴るんだ。だから、一緒に出てもらわないと困る。」

今度は彼女が振り向き、呆れと驚きが混じった、実に奇妙な表情と口調で尋ねる。

「どうして、そういう無駄な設定になっているの?」

「俺がそうしたから。管理会社も喜んでいたし、問題ないだろ?」

「充分あるわよ。せっかく、こんなにいい眺めなんに、健と一緒じゃないと見れない、な

んて、酷い話だわ。」

「ふーん…あれがそんなにいい眺めかね?」

一瞬睨むようにモグラ穴に目をやってから、一転して懐かしむように、優しい声で呟く。

その言葉が聞こえたのか、表情の変化だけでそう思ったのか、視界の隅で、彩が不思議そ

うな表情で、こちらを見ているのが解った。

 僅かに顔を歪めながら、その彼女に向き直り、話し掛ける。

「解ったよ。管理会社に連絡して、彩の合鍵を作ろう。それでいいだろ?」

「ええ…鍵は健が作るんでしょ?だったら3日以内に終わるわね。じゃあ、お願いするわ。」

 強制を強いるような笑顔と、半ば命令的な口調で、そう言い残してその場を後にする彼

女を、制止することも無く、引きつった笑みで軽く頷き、健もその場を後にした。

 翌日から一週間、金属業界は激流に流されるように、変化を遂げる。

 その日、マスコミ各社が申し合わせたように、井筒金属と禁輸国との取引が、事実であ

ったと報道。同時に、警察が強制捜査を慣行し、多数の関係資料を押収。禁輸国との取引

容疑で、社長以下、幹部数名が逮捕された。そのご、臨時の取締役会、株主総会で、逮捕

者の解任が決定し、軸を失った井筒金属は、事実上解体した。それを日本鉄鋼が吸収合併

して、事態は終息した。

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